川崎大師について

平間兼乗(ひらまかねのり)は42歳厄年のとき、夢のお告げに従い海中から引き揚げたお像をお祀りして供養を続けると、兼乗はそのご加護ご利益をいただき自身の厄が除かれました。
以来、川崎大師平間寺(かわさきだいしへいけんじ)は「厄除けのお大師さま」として親しまれ、全国から篤い信仰を集めています。御本尊厄除弘法大師のご宝前で厄除けをはじめ家内安全、商売繫昌など諸願成就の護摩祈祷を毎日修行しています。

歴史

御本尊 厄除弘法大師(やくよけこうぼうだいし)
宗派 真言宗 智山派(しんごんしゅう ちさんは)
開創 大治3年(1128)
名称 金剛山 金乗院 平間寺(こんごうさん きんじょういん へいけんじ)
開基/創建功徳主 尊賢上人(そんけんしょうにん)/ 平間兼乗氏(ひらまかねのり)
通称 厄除弘法大師(やくよけこうぼうだいし)
または川崎大師(かわさきだいし)

略縁起

大本山川崎大師平間寺は、京都東山七条の智積院を総本山とし、成田山新勝寺(千葉県成田市)、髙尾山薬王院(東京都八王子市)とともに、真言宗智山派の関東三大本山の寺院のひとつです。
もろもろの災厄をことごとく消除する厄除大師として、霊験あらたかであると昔から知られる川崎大師のおこりは、平安時代末期・崇徳天皇の御代まで遡ります。
無実の罪により生国である尾張(現在の愛知県)を追われ諸国流浪の果てに川崎にたどり着いた平間兼乗(ひらまかねのり)は、漁師として慎ましく生計をたてながら、深く仏法に帰依しとくに弘法大師を崇信していました。
兼乗が42歳厄年のとき、夢まくらに高僧が立ち「我むかし唐にありしころ、我が像を刻み、海上に放ちしことあり。以来未だ有縁の人を得ず。いま、汝速やかに網し、これを供養し、功徳を諸人に及ぼさば、汝が災厄転じて福徳となり。諸願もまた満足すべし」と告げたのです。
夢のお告げに従い海にでた兼乗が、海中から引き揚げた木像こそ御本尊・厄除弘法大師尊像でした。兼乗は尊像を浄め、ささやかな草庵にお祀りし朝夕欠かさず供養を捧げました。

川崎大師の歴史 『江戸名所図会』
『川崎大師平間寺』二代歌川芳宗

ある時、諸国遊化の途中に偶然兼乗のもとを立ち寄られた高野山の尊賢上人は、尊像奉祀の由縁と兼乗の境遇を知り感激され二人で力をあわせ、大治3年(1128)一寺を建立。兼乗の姓・平間から平間寺(へいけんじ)と号し、御本尊に厄除弘法大師を奉安されました。そして、長承3年(1134)お大師さまのご加護ご利益により無実の罪が晴れた兼乗は、生国に帰ることができました。
皇室の篤い尊信や11代将軍・徳川家斉公の厄除け祈願参拝によって、江戸庶民の間をはじめ全国に「厄除けのお大師さま」として一層広く知られることになり今日に至ります。

昭和39年(1964) 大開帳奉修の盛儀
初詣でにぎわう川崎大師

御本尊弘法大師とご誓願

川崎大師に奉安する御本尊は、弘法大師空海上人・お大師さまのご尊像です。
お大師さまは、宝亀5年(774)讃岐国屛風ヶ浦(現在の香川県善通寺市)にご誕生になり、日本に真言密教の教えを広められました。
その一生は、国家安穏・済世利人のために不惜身命を尽くされ、仏教のみならず文化・教育・社会事業など様々な方面に大きな足跡を遺されました。ご入定された今もなお、私たちの心の、また生活のよりどころとして仰がれ慕われています。
お大師さまの教え(真言密教)は、私たち一人一人が現世の迷いから「心の目」を開き、現実生活の中に仏(目覚めた人)となることを説かれた「即身成仏」の教えです。
お大師さまは、ご誓願の中で「我が後生の門徒、たとい我が現相を見ずといえども、我が形相を見るごとに真に我に逢えりと思い、我が教えを聞くごとに真に我が言音を聞くと思わば、我定恵の力を以って摂取して捨てず」と仰せられています。

御本尊弘法大師

川崎大師の魅力

厄除け

平間兼乗42歳厄年のとき、夢のお告げに従い海中から引き揚げたのが御本尊・厄除弘法大師尊像です。お告げに従い尊像をお祀りして日々手を合わせていると、兼乗はそのご加護ご利益をいただき、無実の罪が晴れて生国に帰ることができました。
このような由緒から、皇室の篤い尊信や11代将軍・徳川家斉公の厄除け祈願参拝によって、江戸庶民の間をはじめとして広く「厄除けのお大師さま」として信仰されるようになりました。
川崎大師では毎日、御本尊厄除弘法大師さまのご宝前で、厄除けをはじめ諸願成就の護摩祈祷を修行しています。

厄除け・護摩祈祷

交通安全

川崎大師の自動車交通安全祈祷は昭和30年代、モータリゼーションの発展とともに始まりました。お大師さまのご加護をいただき、一人でも多くの方に安全運転を心掛けていただくことを願い、日々、交通安全・身上安全の祈願を行っています。

自動車交通安全祈願

境内めぐり

全国ご信徒の祈りの場である川崎大師には、大本堂をはじめとした七堂伽藍はもとより様々なお堂や建物が建ち並び、多くの尊像がお祀りされています。川崎大師の祈りの中心である大本堂、唯一戦災を免れた稲荷堂などの諸堂には、パワースポットとして親しまれているところもあります。
参詣ご信徒のための多目的会館や休憩所もあり、境内の草花に季節の移ろいを感じながら大師信仰と地域の歴史を今に伝える石碑を巡るのもオススメです。

境内めぐり

授与品

川崎大師のお札やお守りは、すべて御本尊・厄除弘法大師さまのご分躰としてお授けしています。お札は清浄なところにお祀りし、お守りは常に身につけてお持ちください。
現在ではお参りのしるしとしてもお授けされるご朱印や、川崎大師を身近に感じていただける記念品もございます。

お守り

別院ご紹介

別院とは、多くの方が御本尊のご利益をいただけるよう、御本尊をお祀りする本寺とは別にそのご分躰や他の仏さまをお祀りしたお寺のことです。
川崎大師には「東京別院・薬研堀不動院」「京都別院・笠原寺」の2つの別院があります。薬研堀不動院には、興教大師・覚鑁上人敬刻の不動明王さま、笠原寺には厄除弘法大師さまのご分躰をお祀りしています。

東京別院 薬研堀不動院

川崎大師の東京別院・薬研堀不動院は、古くから目黒、目白と並び江戸三大不動として知られ『江戸名所図会』をはじめ多くの文献に紹介されています。

御本尊 不動明王(ふどうみょうおう)
宗派 真言宗 智山派(しんごんしゅう ちさんは)
名称 川崎大師東京別院 薬研堀不動院
(かわさきだいしとうきょうべついん やげんぼりふどういん)

アクセス

住所〒103-0004 東京都中央区東日本橋2-6-8 MAP
TEL/FAX:03-3866-6220

京都別院 笠原寺

笠原寺は、京都市山科にある真言宗智山派(ちさんは)のお寺で、昭和54年に、故笠原政江尼によって開山されました。
悩む女性の厄除けを願う「一日尼僧修行」で知られています。

御本尊 厄除弘法大師(やくよけこうぼうだいし)
宗派 真言宗 智山派(しんごんしゅう ちさんは)
名称 川崎大師京都別院 岩屋山大宅院笠原寺
(かわさきだいしきょうとべついん いわやさんおおやけいん りゅうげんじ)

アクセス

〒607-8172 京都市山科区大宅岩屋殿2 MAP
tel:075-572-9400 FAX:075-572-7800